こんにちは!
日本の裏社会や世界中の危険地帯を取材し続けるジャーナリスト、丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)さん。
自らを「犯罪ジャーナリスト」と名乗り、少し怖そうな印象を持たれることもありますが、笑顔を見せたときのキュートな一面とのギャップも大きな魅力のひとつです。
過激なテーマを扱いながらも、視聴者を引き込む語り口と知識の深さにファンも多数!
今回は、そんな丸山ゴンザレスさんのプロフィールやご家族についての情報をまとめてご紹介していきます。
それでは、さっそくチェックしていきましょう!
丸山ゴンザレスって何者?プロフィール紹介!

日本国内外のスラム街や裏社会、危険地帯へ自ら足を運び、リアルな現場を取材している丸山ゴンザレスさん。その行動力と深い知識で、多くのファンを魅了し続けています。
そんな彼の詳細なプロフィールはこちらです
- 名前:丸山ゴンザレス
- 本名:丸山佑介(まるやま ゆうすけ)※説あり
- ペンネーム:丸山佑介、荒井裕介
- 生年月日:1977年10月30日(2025年6月現在で47歳)
- 出身地:宮城県仙台市
- 身長:175cm
- 体重:約100kg(がっしり体型!)
- 出身高校:仙台育英学園高等学校
- 出身大学:國學院大學 文学部史学科卒業
- 大学院:國學院大學大学院 考古学専攻
- 職業:ジャーナリスト/編集者/國學院大學学術資料センター共同研究員
元々は考古学を専門とする学者肌の一面もあり、知識や視点の深さはそこから来ているのかもしれません。
現地に飛び込む勇気と知性を併せ持つ、まさに“行動するジャーナリスト”と言える存在です。
丸山ゴンザレス学歴は?
中学時代の丸山ゴンザレスさんは柔道部に所属しながら、学校の成績も優秀だったそうです。
しかし、第一志望としていた公立高校の入試にまさかの不合格。
合格を確信していただけに、そのショックは大きかったようです。
その後、スポーツの名門として知られる仙台育英高校に進学しました。
高校時代には青春18きっぷを使って国内を一人で旅し、旅先で出会った風景に魅了されたことから、大学は島根や鳥取の国立大学を目指そうと考えます。
しかし、地元を離れることを心配した母親の意見を受け入れ、最終的には東京にある國學院大學に進学することに。
大学では考古学を専攻し、卒業後は就職せずそのまま大学院へと進みました。
ところが、大学院生活の中で先輩に強制される形で泊まり込みのアルバイトをすることになり、授業に出られず、家にも帰れず、さらに人間関係の煩わしさにも直面します。
これにより大学院生活は次第に苦しいものとなり、最終的には大学院2年で修士号を取得した後、進学や研究の道を離れました。
この経験が、後の現場主義ジャーナリストとしての道を歩むきっかけになったのかもしれませんね。
丸山ゴンザレス名前の由来は?
「丸山ゴンザレスさん」という印象的な名前は、実は書籍を出版する際に決まったものだそうです。
当時は、著者名で“苗字か名前のどちらかをカタカナにする”のがちょっとしたブームになっており、丸山さんもその流れに乗ることになります。
そこで編集部から「せっかくだからインパクトのあるカタカナ名を」と提案され、いろいろな名前の案が出されました。
丸山さんの見た目や雰囲気から「怪獣っぽい名前が似合うのでは」という声もあり、その方向性でカタカナの名前をいくつか挙げていたところ、本人が「ゴンザレスがいい」と口にします。
するとその場で編集長が「それだ!」と即決。
こうして、“丸山ゴンザレス”という唯一無二のペンネームが誕生したのだそうです。
強そうでちょっとユーモラスな響きが、彼のキャラクターにもぴったりですよね。
丸山ゴンザレスの職歴!出版社(ブラック企業)
丸山ゴンザレスさんは大学院を辞めたあと、出版社に就職しました。
しかし、そこでの最初の社会人経験はかなり過酷なものだったようです。
就職先の出版社はいわゆるブラック企業で、入社早々、顧客リストを渡され、飛び込みで広告掲載の契約を取ってくるように命じられたそうです。
しかも、せっかく契約を取ってきても、次はわざと無理難題をふっかけられ、失敗するとそれを責められるという悪循環。
会社の経営状態も悪く、営業で使った交通費や経費すら支払われないこともあったそうです。
さらには、会社に借金取りが乗り込んできた際には、社長が裏口から逃げるという修羅場まで経験したと言います。
中でも決定的だったのは、職場の上司から「お前、彼女いる? いるなら抱かせろよ」と言われたこと。
この発言に、さすがの丸山さんも「次、何か言ったらぶん殴るぞ!!」とキレてしまい、翌日にはきっぱりと辞表を提出したそうです。
理不尽とストレスが渦巻く環境でのこの経験は、後の彼の行動力や“ぶれない姿勢”にもつながっているのかもしれませんね。
今のタフな彼からは想像もできないようなブラックなスタートでしたが、むしろそれを乗り越えたからこそ、今の丸山ゴンザレスさんがあるのではないでしょうか。
丸山ゴンザレスの職歴!アンダーグラウンドなバイト
出版社を辞めた後、無職になった丸山ゴンザレスさんは、しばらくの間さまざまなアルバイトで生計を立てていたそうです。
中にはかなりアンダーグラウンドな仕事も含まれていました。
例えば、歌舞伎町にあるとある社長宅で掃除をしながら話し相手になるという仕事では、1回で1万円を受け取っていたそうです。
まるで映画のワンシーンのような内容ですが、ゴンザレスさんは淡々とこなしていたとか。
他にも、「中身は聞かないで」とだけ言われて手渡されたアタッシュケースを大阪まで運ぶという、明らかに怪しげな“運び屋”のような仕事も経験したそうです。
何が入っていたのかは今でも本人も知らないとのこと。
さらに、警察に知人がいた縁で、警察関係者しか手に入らない限定グッズなどを入手し、それをネットオークション(当時はヤフオク)で売って小遣い稼ぎをしていた時期もあったそうです。
普通の人なら避けたくなるような仕事に対しても、ゴンザレスさんは物怖じせず、むしろ「面白そう」と飛び込んでいったのかもしれません。
こうした経験の積み重ねが、後の“危険地帯ジャーナリスト”としての資質を育てていったのでしょう。
丸山ゴンザレスの職歴!測量会社に正社員として就職
無職となり、生活も不安定で経済的に困窮していた時期、丸山ゴンザレスさんに声をかけてくれたのは、大学時代の恩師でした。
その先生は、学生時代から丸山さんの人柄や能力を見ていてくれたのでしょう。
なんと、自身の同級生が経営する測量会社を紹介してくれたのです。
こうして丸山さんは、測量会社に正社員として入社することになります。
給料は決して高くはなかったそうですが、ようやく生活が安定し、社会人としての基礎を固めていく日々が始まりました。
この会社での経験を通じて、真面目に働くことや、人との信頼関係の築き方など、社会人として必要な素養を身につけていったそうです。
それまでの波乱万丈な人生とは少し異なる、「地に足のついた生活」を経験したことが、後のジャーナリストとしてのバランス感覚にもつながっているのかもしれません。
丸山ゴンザレスの職歴!編集者
ある日、測量の仕事で使う機材を車に積み込んでいたとき、丸山ゴンザレスさんは偶然、大学時代の知り合いに再会します。
その知人は出版社に勤めており、久しぶりに言葉を交わしながら親交を深めていたところ、「うちの編集者が話を聞きたがってるんだけど、会ってみない?」と声をかけられたそうです。
さらに、「せっかくそんな面白いエピソードを持ってるんだから、本にしてみたらどう?」と勧められたことがきっかけとなり、丸山ゴンザレスさんは本格的に執筆を始めることになります。
ちょうどその頃、勤務していた測量会社の業績が悪化し、会社は倒産寸前の状況に。そんな崖っぷちのタイミングで、初の著書となる『アジア「罰当たり」旅行』が出版されました。
そしてこの一冊が、26歳だった丸山さんにとって、編集者としての新たなスタートとなったのです。
偶然の再会と、人生のタイミングが重なって動き出したこの出来事が、のちに“危険地帯ジャーナリスト”として名を馳せる彼の、最初の大きな一歩となりました。
丸山ゴンザレスの家族は?父親は国鉄(JR)の職員
丸山ゴンザレスさんのご家庭は、経済的には比較的恵まれていたようです。
お父様は国鉄、現在のJRに勤めており、安定した生活環境の中で育ったといいます。
しかし一方で、家庭の雰囲気はちょっとユニークでした。
ゴンザレスさん自身、「オヤジはアルコール依存症に近い酒飲みで、学校をずる休みさせて釣りに連れていったりする人だった」と語っています。
普通の家庭ではなかなか考えられないような日常が、彼にとっては当たり前だったのかもしれません。
そんな父との思い出の中でも特に印象的だったのが、小学生の頃、一緒にキャンプに行ったときのこと。
山の上に湧いている水を汲み、それをキャンプ用のコンロで沸かしてブラックコーヒーを入れてくれたそうです。
そのコーヒーが本当に美味しくて、それ以来、小学生ながらブラックコーヒーを飲む習慣がついたといいます。
他にも、ナイフを使わずに魚をさばく方法など、実用的なサバイバル術も父親から教わったそうです。
また、お父様から受け継いだものはそれだけではありません。
「本を読む習慣」も大きな影響を与えました。
晩ごはんの前に一緒に本屋へ行くと、漫画以外の本を一冊だけ買ってもらえる。
帰宅後、その本を食事の前後で読むのが日課だったそうです。
漫画はNG、本を読むなら“ちゃんとしたもの”というのが父親の方針だったようで、その習慣が自然と身についたと語っています。
こうした父との時間が、のちに“危険地帯を渡り歩くジャーナリスト”としての精神力や知識欲、そしてアウトドア的なタフさを育てたのかもしれません。
型破りな父との日常は、丸山ゴンザレスさんの今の姿を作り上げる重要なベースになっていることが伝わってきます。
丸山ゴンザレスの家族は?母親は衣料品店で働いていた
丸山ゴンザレスさんの家庭は共働きで、お母様は衣料品店に勤めていたそうです。
その影響からか、「母親が共働きコンプレックスからか、お小遣いをわりとくれたんですよ」と語っています。
さらに、おばあちゃんからもお小遣いをもらっていたため、いわば“ダブルインカム”状態。
子どもの頃のゴンザレスさんは、片方のお小遣いで『週刊少年ジャンプ』や『コロコロコミック』を買い、もう片方では近所を食べ歩くという、自由で満ち足りた生活を送っていたといいます。
食べることが大好きだったゴンザレス少年は、食欲も旺盛だったようで、家の炊飯器は一升炊き。
たっぷり炊かれたごはんをモリモリ食べて、すくすくと育っていきました。
そんな食生活を支えていたのが、お母様のこだわりです。
添加物や着色料を嫌い、料理はもちろん、ケーキに至るまで手作りが当たり前。
健康を大切にしながらも、家族のために美味しいものをつくることに心を込めていたお母様の姿が浮かびます。
中でも、今でも心に残っているのが「キャロットケーキ」。
その優しい味は、きっと今でもゴンザレスさんの中で特別な記憶として残っているのでしょう。
彼の豪快なイメージの裏に、家庭の温もりと豊かな食の記憶があることが、とても印象的です。
丸山ゴンザレスの家族は?兄弟は姉と妹
丸山ゴンザレスさんには姉と妹がいて、3人きょうだいの真ん中として育ったそうです。
とはいえ、食卓ではまるで“一人っ子状態”だったかのように、食べ物の大半をゴンザレスさんが平らげていたといいます。
「うち、姉と妹がいるんですけど、ほとんど俺ばっかり食べてましたね」と本人も語るように、食べ物をめぐる家庭内の攻防は日常茶飯事。
たとえば、妹さんは子どもの頃ウナギのかば焼きが苦手で、タレごはんだけを食べていたそうですが、そのウナギの本体はしっかりゴンザレス少年がもらっていたんだとか。
また、大好物だったカレーライスでも事件は起きていました。
肉がゴロゴロ入ったブロック肉カレーをおかわりするたびに、ゴンザレスさんがすべての肉を食べ尽くしてしまうため、家族の間で不満が爆発。
そんな状況を見かねたお母様が、家族みんなで平等に楽しめるようにと、苦肉の策として「肉をすべてひき肉に変更する」というルールを導入したそうです。
大家族ならではの微笑ましいエピソードであり、同時に“食への執着心”がこの頃からずば抜けていたこともうかがえます。
現在のタフなフィールドワークを支える体力や旺盛な好奇心は、こうした子ども時代の豊かな食体験に根ざしているのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、ジャーナリスト・丸山ゴンザレスさんについて、そのプロフィールや経歴、家族とのエピソードなどを詳しくご紹介しました。
國學院大學大学院で考古学を学び、ブラック企業での過酷な経験を経て編集者としての道を切り拓き、今や世界各地の危険地帯に足を運ぶジャーナリストとして注目を集める存在に。家族構成は、父・母・祖母・姉・妹の6人家族。
食卓をめぐるほほえましいエピソードからも、彼の人間味あふれる一面が垣間見えました。
『クレイジージャーニー』への出演で一躍名を広めた丸山ゴンザレスさん。
コワモテな外見とは裏腹に、時折見せる優しい笑顔やユーモアが印象的です。
取材先はどれも、自分ではなかなか踏み込めないようなディープな場所ばかりで、彼の行動力には驚かされるばかりです。
ときには「本当に大丈夫?」と心配になるような現地の料理にも果敢に挑戦しながら、私たちの知らない世界を伝えてくれる姿勢に、多くの人が惹かれているのかもしれません。
これからも健康に気をつけて、興味深い現場を安全に取材し続けてほしいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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